「国産ジーンズ発祥の地」で始まったこと
足袋から学生服、そしてジーンズへと移った児島の縫製の歴史と、オンスやセルビッジなど、ジーンズの生地を選ぶときの言葉。
編集部|公開:2026年11月6日
児島は「国産ジーンズ発祥の地」と呼ばれている[s1]。市などの資料は、1965年にここで国内初のジーンズがつくられたことを、その理由に挙げている[s1][s2]。ただ、そのジーンズの生地は、アメリカから輸入したデニムだった[s2][s3]。生地が輸入なら、児島で始まったのは何だったのか。
紐と足袋と学生服
話は江戸時代の干拓地から始まる。干拓でできた児島の新田は塩気が多く、稲作に向かなかったので、塩に強い綿が植えられた[s2]。1789年には田之口で真田紐の製造が始まり、同じころ、小倉織や、足袋の底に使う丈夫な雲斎織もつくられ始めたという[s2]。
明治に入ると紐の需要が減り、児島の人々は足袋をつくるようになる[s2]。1906年には、足袋屋の松三曙が日本で初めて足袋の製造に動力ミシンを入れた[s2]。1916年から1918年にかけて、岡山県の足袋は年に約千万足つくられ、生産量は全国でいちばん多かった[s2]。
1918年ごろから、足袋をつくっていた人や会社の多くが学生服へ移り始める[s2]。1920年ごろには洋装が広まって足袋の生産が減り、厚い生地を縫う技術と設備と人手は、学生服に引き継がれていった[s2]。ジーンズの前に、児島には厚い木綿を縫う腕がそろっていた。
1965年、輸入の生地を縫う
1960年代になると学生服の競争が激しくなり、需要も減り始めた[s2]。児島の作り手が次に目をつけたのが、アメリカのジーンズだった[s2]。
学生服を縫っていたマルオ被服(いまのビッグジョン)は、1958年からジーンズの輸入と受託生産を手がけ、1964年に学生服の製造をやめてジーンズに移った[s3][s4]。1965年、マルオ被服は「キャントン」というジーンズを縫い始める[s3]。ビッグジョンの沿革は、これを「国産第1号のジーンズ」としている[s4]。キャントンは、東京の大石貿易がアメリカのキャントンミルズ社の生地で企画したブランドで、東日本と西日本に分けて売られた[s3]。マルオ被服は、その西日本の販売権を得ていた[s3]。
縫うのは簡単ではなかった。当時の作業着の木綿は4.5オンスか6オンスで、輸入したキャントンの生地は14.5オンスくらいあった、とマルオ被服の元役員が振り返っている[s3]。ミシンを改造し、針を替え、最後は中古のミシンを輸入したという[s2][s3]。同じ1965年には、のちのベティスミスの大島被服も、輸入のデニムでジーンズをつくり始めている[s3]。
マルオ被服は1967年に自社のブランド「ビッグジョン」を立ち上げる[s3][s4]。岡山県の冊子は、国産ジーンズの第1号はキャントンであり、量産と、企画から販売までを一社で手がける形を最初につくったのはマルオ被服とも言える、と整理している[s3]。
マルオ被服が生地まで国産に切り替えたのは、1973年ごろだ[s3]。倉敷紡績が開発した14オンスのデニム「KD-8」を、輸入の生地に代えて全面的に使った[s3]。岡山県の冊子は、これを国産デニムによる純国産ジーンズの第1号としている[s3]。
児島で始まったのは、厚いデニムをジーンズの形に縫い、たくさんつくる仕事だった。足袋から学生服へと受け継いできた、厚い布を縫う技術が、その下地になっている[s1][s2]。
生地を選ぶときの言葉
ジーンズの店で聞く言葉のいくつかは、生地のつくりや加工を指している。
- オンス:生地の厚さを表す。1平方ヤード(約90cm角)の生地の重さをオンス(1オンス=約28.4g)で量ったもので、男性の定番のジーンズの生地は14オンス前後[s6]。
- セルビッジ(耳。セルヴィッチ、セルビッチとも書く):旧式の織機で織った、端にほつれ止めのある生地[s5]。生地の幅が狭いのでジーンズ1本に多くの生地が要り、織るのにも時間がかかるため、値段は高くなる[s5]。裾を折り返すと、この耳が見える[s5]。
- ロープ染色と中白:糸を束ねてロープ状にし、インディゴの液に浸して染める[s6]。糸の表面だけが染まって芯が白く残るので、洗うたびに表面がすり減り、白い筋が出てくる[s6]。
- ワンウォッシュ:約60℃の湯で洗って糊を落としただけの加工[s6]。色はほとんど落ちず濃いままで、手ざわりもまだ硬い[s6]。
色落ちを楽しみたいのか、最初から柔らかく穿きたいのか。迷うのは、たぶん厚さより、この加工の段階のほうだ。
いまの児島
2022年の業界団体の調査では、デニムの国内生産のほぼすべてを岡山と広島が占めている[s5]。繊維工業全体でみると、2024年の倉敷市の製造品出荷額等は約981億円で、統計で公表されている市区町村の中ではいちばん多かった[s7]。前年は福井市に次いで2番目だったので、順位は年によって入れ替わる[s8]。
児島では2005年に地元の委員会ができ、「児島ジーンズストリート構想」のもとで、商店街の空き店舗にジーンズの店を集めてきた[s9]。名鑑の桃太郎ジーンズと児島ジーンズの店は児島の味野に、ベティスミスの店は児島の下の町にある。厚さと加工の言葉を覚えておけば、店で生地の違いを尋ねるときに話が早い。
この産地のブランド
出典
- s1一輪の綿花から始まる倉敷物語(日本遺産)(倉敷市 日本遺産推進室、2026年11月6日閲覧)
- s2「一輪の綿花から始まる倉敷物語」調査研究事業報告書(2019年3月)(倉敷市(近代化遺産研究会による調査研究)、2026年11月6日閲覧)
- s3おかやまのせんい vol.4(2019年3月)(岡山県 産業労働部 産業振興課、2026年11月6日閲覧)
- s4沿革(株式会社ビッグジョン、2026年11月6日閲覧)
- s5岡山県・広島県はデニムの一大産地(2024年2月8日)(神戸税関 水島税関支署、2026年11月6日閲覧)
- s6ジーンズの素材(ジーンズハンドブック 新訂8版の抜粋)(apparel-mag.com、2026年11月6日閲覧)
- s72025年経済構造実態調査 製造業事業所調査 地域別統計表(2024年実績)(経済産業省(e-Stat)、2026年11月6日閲覧)
- s82024年経済構造実態調査 製造業事業所調査 地域別統計表(2023年実績)(経済産業省(e-Stat)、2026年11月6日閲覧)
- s9はばたく商店街30選 児島ジーンズストリート(2017年)(中小企業庁、2026年11月6日閲覧)