焼きもの|茶器・花器・食器
酒津焼窯元
さかづやきかまもと
明治2年の開窯から、父子で継ぐ酒津の登り窯
基本の情報
| 拠点 | 倉敷市酒津[s3] |
|---|---|
| 運営 | 酒津焼窯元(岡本家)[s1][s2] |
| 創業 | 1869年(明治2年)開窯[s1][s2] |
| つくり | 酒津の工房でつくり、登り窯で焼く[s3] |
| 公式サイト | sakazuyaki.jp |
代表的な商品
| 茶器、花器、食卓の器 | やや肉厚で、釉薬を厚く掛けた器 |
|---|
買える場所
| 直営店 | 酒津焼窯元(店舗兼工房)(倉敷市酒津(酒津公園の北、貯水池のほとり))[s3] |
|---|
岡山の焼きものというと、備前を思い浮かべる人が多いかもしれない。倉敷駅の北、高梁川の東岸に、明治2年から続く窯がある[s1][s2][s3]。酒津焼窯元は、一度も窯の火を絶やさず、父から子へと継いできたという[s1]。150年を超えて続く窯の器は、いま、どんな姿をしているのか。
川を渡って、窯を移した
始まりは1869年、鶴形山のふもとの戎町だった[s2]。初代の岡本末吉は、1876年、酒津によい陶土があると聞いて窯を移す[s2]。最初の窯は、高梁川の西の兜山のふもとにあった[s2][s5]。
1950年、窯は川の東岸、酒津の水門のそばへ移る[s2]。橋がなく、渡し舟で行き来する不便さが理由だった[s2]。いまの店舗兼工房は、桜で知られる酒津公園の北、貯水池のほとりにある[s2][s3]。
昭和の初めに来た人たち
公式の歴史には、昭和の初めに窯を訪れて指導した人の名前が並ぶ[s2]。近藤悠三、浜田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、バーナード・リーチ[s2]。四代の静太郎とリーチが並んだ写真も、同じページに載っている[s2]。
いまも、素朴で健康的、優雅という特色を守りつつ、使うことに耐える器を目指しているという[s2]。器はやや肉厚で、釉薬を厚く掛けている[s2]。年に大小1,000点ほどを焼く[s5]。いまの窯を担うのは、六代の岡本研作さんと弟の和明さんの兄弟2人だ[s4][s5]。
釉薬の色で選ぶ
迷うのは、たぶん釉薬の色だ。作品紹介には、海鼠釉、鉄釉、飴釉、辰砂釉、粉引などの名前が並ぶ[s6][s7][s8]。茶器や花器と並んで、飯碗やマグカップ、蕎麦猪口のような毎日の器もある[s6][s7][s8]。食卓に一つ足すなら、出番の多い飯碗かマグカップから選ぶと、厚手のつくりと釉薬の色の両方を毎日確かめられる。
どこで手に取るか
器を買うなら、まずは窯元の店になる。店は工房と同じ建物で、工房でつくり登り窯で焼いた作品を並べている[s3]。営業は10時から18時で、定休日はない[s3]。作品の購入についての問い合わせは、電話、FAX、メールのどれでも受けている[s3]。倉敷駅の北口から歩いて25分ほど[s3]。営業時間の書き方は案内によって違うので[s3][s9]、出かける前に連絡しておくと確実だ。
ふだんの器を、登り窯で焼いたものに一つ替えてみる。酒津焼の厚手の器は、その最初の一つに向いている。
あわせて読む
出典
掲載内容の確認日:2026年11月4日(以降に変わっている場合があります)
- s1酒津焼窯元のホームページ(酒津焼窯元、2026年11月4日閲覧)
- s2歴史(酒津焼窯元)(酒津焼窯元、2026年11月4日閲覧)
- s3店舗案内(酒津焼窯元)(酒津焼窯元、2026年11月4日閲覧)
- s4酒津焼(倉敷の老舗)(倉敷観光WEB(倉敷市観光情報発信協議会)、2026年11月4日閲覧)
- s5酒津焼(倉敷の特産品)(倉敷観光WEB(倉敷市観光情報発信協議会)、2026年11月4日閲覧)
- s6作品紹介(岡本研作)(酒津焼窯元、2026年11月4日閲覧)
- s7作品紹介(岡本和明)(酒津焼窯元、2026年11月4日閲覧)
- s8作品紹介(岡本章)(酒津焼窯元、2026年11月4日閲覧)
- s9酒津焼窯元(買う)(倉敷観光WEB(倉敷市観光情報発信協議会)、2026年11月4日閲覧)